シャッター通り商店街が増え身近な商店が廃業した
(太平洋戦争の)戦前からの単独立地の大型小売店(商業施設)といえば百貨店(デパート)で、戦後の復旧期・復興期には地方都市でも街の中心部で営業を再開しました。相前後して戦前から代々続く古くからの暖簾(のれん)を掲げた「家業店」が営業を再開、戦後新たに開店した「生業店」も加わりは中心商店街ができ上がりました。また食料品中心の商店が集まる「〇〇市場」も復活、街は賑わいを取り戻し、同じ頃には住宅地にも新たな商店も次々と誕生しました。
百貨店あるいは主要駅周辺の商店街への来街手段は主として徒歩、自転車あるいは鉄道、乗合いバスといった公共輸送機関。「街に行く」バス路線も整備され乗換えなしで商店街に行くことができるようになりました。
復旧期・復興期を経て日本経済は成長期に入り消費者の所得も向上、やがて自家用車も普及、それにより消費者の行動半径も拡大しました。道幅が狭く駐輪はできても駐車場難の街中での買い物は不便になります。百貨店法や大店法等の規制はあったものの、都市の郊外・準郊外地区に駐車場を併設した単独の大型店、複合の大型商業施設が建設されるのも時代の流れでした。さらに周辺には中小の小売店・サービス店が出店、新たな商業集積が形成されていきます。休日には自家用車で夫婦、家族が揃っての買物や食事、このような消費者の新しい消費者スタイルが次第に定着します。
半面、中心商店街、駅前商店街への来街客は減少し売上は低下、閉店に追い込まれる商店が続出、かつては賑わった商店街の「シャッター通り」化が進行しました。食品スーパーなど比較的商圏が狭い業態店の住宅地区への出店はありましたが、消費者の身近に点在した中小業種店の多くも姿を消しました。子息・子女は親の商売の先行きに不安を感じ、跡を継ぐことを断念、後継者難は商店数の減少に拍車をかけることになります。そのうえ地区によっては人口それ自体が減少、過疎化が小売店の存立基盤をも奪うことになります。店舗数の減少は今も続いています(図Ⅰ-4参照)。
図Ⅰ-4 小売店店舗数と1店舗当り売り場面積の推移
次回に続く